信玄餅ができるまで:武田信玄と山梨の銘菓
ちょっと泣ける、信玄餅の歴史
信玄餅が広く普及した背景は、1969年に放送された初のカラー大河ドラマ「天と地と」をきっかけとした武田信玄ブームにより、たくさんの方に知られる餅菓子となったようです。上杉謙信と武田信玄が川中島で激突するシーンには、大河ドラマ史上、当時最大数のエキストラが参加し、ヘリコプターも導入されたとのこと。たくさんの人を魅了した大河ドラマによって、武田信玄の名も広く知られることとなりました。
信玄餅は、金精軒が1971年(昭和46年)に商標登録している和菓子です。ただ、残念ながらいつ誕生したのか明確な記録はありません。「武田信玄が出陣の際に非常食として砂糖入りの餅を持っていた」や「山梨にてお盆に食べる安倍川餅から由来した」そんなお話がございます。
山梨が貧しく、ろくな作物が採れなかったころ若い男たちの多くは、出稼ぎや丁稚(でっち)のため、商業が豊かな静岡に行きました。出稼ぎから帰ってこられるのはお盆と正月の2回のみ。
そんな年に数回家族と会え日だからこそ静岡の美味しい物を持って帰ってやりたい!
そんなわけで、信玄餅は山梨の銘菓として今の形へと進化していったのかも知れません。
黒蜜ときな粉ををたっぷりとまぶして味わうこの信玄餅は、日本人の勤勉さにも紐づく伝統的な菓子として半世紀以上にわたって多くの人々に愛され続けています。
金精軒は 本家・分家・暖簾分け の数社で「信玄餅」という和菓子を販売していました。「信玄餅」の商標は金精軒の分家が保有しており、また当時からその製造を台ケ原金精軒(現在の金精軒製菓株式会社)が担っておりました。その後、金精軒分家より台ケ原金精軒(現在の金精軒製菓株式会社)が商標を引き継ぎ、今日の商いに至っております。